【緊急投稿】大動脈解離で2度入院してから1年半経った今思うこと

昨日、もんたよしのりさんが大動脈解離で亡くなられたのこと。
まずは、お悔やみ申し上げます。

大動脈解離とは、大動脈の内膜が断裂し、血液が内膜と中膜の間に流入することで大動脈壁が二層に分離する病気です。主に高血圧症などによる大動脈壁の脆弱化が原因となります。症状は強い胸骨後部や背中の痛みが特徴的です。診断にはCTやMRIなどの画像検査が用いられます。放置すると大動脈瘤や大動脈解離による破裂を引き起こす可能性が高く、致死率も50%と高いため緊急手術が必要となります。

治療法としては、人工血管を用いた置換手術が基本となります。しかし高齢者など手術リスクの高い症例ではステントグラフトによるステント留置術が選択されることもあります。術後は厳重な血圧コントロールが重要で、β遮断薬などにより血圧を穏やかに保つ必要があります。再発予防のため生活習慣の改善に努め、運動などによる血管の鍛錬、禁煙、減塩などが推奨されています。

大動脈解離は発症すると致死率が高く、患者の意識がなくても画像診断により早期発見し、迅速な対応が求められます。一方で血圧コントロールと生活改善により再発を予防することも大切です。適切な治療と管理により良好な予後が得られる可能性が高い疾患といえます。

私も昨年、大動脈解離を発症しました。
2022年の3月から5月にかけて、2度大動脈解離で入院しました。
1度目は、いわゆるスタンフォードA型で、緊急手術含め3週間の入院、
2度目は、退院後わずか3週間後に今度はスタンフォードB型で、2週間の絶対安静で入院。

1度目は、突然前から心臓を銃で撃たれたような感じでした。1万歩程度の散歩の終盤でしたが、後ろにもんどり打つように倒れました。避けようがありませんでした。幸い、自宅から徒歩5分程度の距離でしたので、擁壁や街路樹につかまりながら、何とか家にたどり着きました。家について1時間我慢してから救急車を呼ぼうとしたものの、あまりに痛すぎて1時間我慢できずに救急車を呼びました。

まずは近所の総合病院に運ばれました。CTを取ったようです。その後、隣の川崎市の川崎幸病院に移送すると説明をおぼろげながら受けました。その「川崎幸病院」の活字だけは脳裏に残ったものの、以後の記憶は手術後、集中治療室に相当する病室(以下、集中治療室)で目が覚めるまで記憶がありません。その間は約5日です。

記憶のない間、あらかたどういう流れになっていたかというと、私の口頭での発言と私の父(他界)の総合病院での入院履歴より私の兄の連絡先にたどり着いたようです。都内に住む兄は直接川崎幸病院に来てくれました。私の記憶はすでにないのですが、兄とは会話が成立していたようです。

兄が手術許可のサインをした後に、手術は行われました。手術内容は大動脈を人工血管に交換する手術です。6時間程度要したようです。これは標準の時間だそうです。ただ、私は手術台上で足をばたつかせて暴れてしまったようです。そのことを知らせてくれた医師には後ほど謝罪しました。その医師を蹴ってしまったのかもしれません。

家族向けの資料によると、手術中は体温を20度まで下げたようです。なかなか怖い話ですよね。また、ろっ骨を全部外したようです。ろっ骨を再セットし、ろっ骨周辺の痛みが消えたのは手術後ひと月が経過して以降です。それまでは寝返りの度に痛みが走ります。

若干カルトめきますが、私の場合は、入院前の記憶が前年の11月でした。実際は入院したのは3月です。術後の集中治療室では、この4か月の差の勘違いを直すのに正直苦労しました。今この原稿を書いている時点でも、11月から3月までの記憶が明瞭ではありません。

なお、集中治療室で思い出すのは、走馬灯のように脳内の絵柄を、私は見続けたことになります。期間はずいぶん長く続き、非常に悪趣味な、どきつい色とデザインでした。執筆中の2023年10月を踏まえると、「ブギウギ」感のある太めのゴシック体が、からから回ったり跳ねたりするようなイメージです。

私は、この兆候を手術で破裂した大動脈に代わり交換した人工血管が、体内に融和するために人工血管自体の分子構造が、脳内にプログラミングされていくまでのプロセスを絵柄で見せつけられたものと、今では総括しています。その絵柄はいずれ脳内から消えていきました。

集中治療室と言っても、ベッドが20以上はある大部屋なので、看護師もたくさんおり、認知症を思われる患者が騒いだりもしたので、周りが気にはなります。当然コロナ中ですので、外部からの見舞いなどは一切できません。

病状が安定すると、一般病棟へ移ります。一般病棟はおおむねところてん方式で退院します。携帯電話の所持もOKでした。ただ、病院が最近にテレビを無料開放したことでテレビをつけっぱなし、かつイヤホンを使わないで普通に音を出してみる患者が多数いたことで、騒音問題は収まりませんでした。だいたい認知症の高齢者の患者はテレビの音について無頓着で、そもそも騒音について理解できていないようでした。つまり、認知症の高齢者は一人だけではないということです。

2度目の入院は、スタンフォードB型で、手術は免れました。自宅に椅子に座っているときに、今度は前からではなく後ろから銃で撃たれたような感じでした。痛みはA型の時に比べて軽かったです。私のように短期間で2回入院する患者は今までも少なからずいたということですが、珍しかったのは間違いないようです。

スタンフォードB型での入院理由は降圧剤を減らしたことが一番の原因です。かかりつけの医者に委ねて、薬を半分に減らしたうえ、軽い降圧剤に変えたことがよくありませんでした。薬を変えて1週間で再発したことになります。毎日2回血圧を測っても、血圧の適正値を理解するまでには時間がかかってしまうものです。血圧の誤差はプラスマイナス10と言われても、今のデジタル時代になかなか感覚として受け入れられません。ちなみに毎日飲む薬の量は全部で最大18錠です。今でも、うっかり1回飲み忘れるとすぐに160くらいの数値になります。

川崎幸病院は、大動脈解離について日本一の手術実績があるようで、次々に救急患者が運ばれ、予約手術の患者も毎日新規入院します。予約患者が何の手術をするのかは私はよくわからないままです。不幸なことに病院に搬送中に亡くなる方もいらっしゃるようです。そのため、1度目の入院の時は、看護師の扱いが手荒に感じ、不満を持っていました。しかし、2回目に入院したことで、若干看護師のオペレーションや激務も理解できたので、看護師に対する不満もなくなったので、結果、2回も入院したことは良かったと今では思っています。

川崎幸病院の大動脈解離のフロアは7階にあって、一般病棟の休憩室からは、真下に川崎駅に発着する東海道線と京浜東北線と南武線の列車が鉄道模型のように見れて、線路用地には結構な数の桜も咲いていて、とても癒される風景を拝むこともできました。

それから、1年半経過して薬の副作用を許容しつつ、ようやく日常生活に復帰できたような感じです。それでも、今年の夏の暑さには体がついていけず、元の体のようにになることはないと思った次第です。ちなみに血圧は夏のほうが安定します。

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